とりあえず、隠居。

 潮時な気もする。なんとなく見る人がいるかもしれないので本意や心残りなことを書き記す。

 ゲーマーとしてこのゲームで私がこれ以上伸びることはないだろう。体力、気力、金もないし。とりあえず、神皇さまにもなったし、全国大会もいったしし。後、自分の甲斐性なしのせいで何度も決勝卓で送りバンドしてる、勝負事の神様はそういう人間に決して真の笑顔を見せてくれることがないことも少なくとも私は知ってる。

 休みが日曜日しかなく、ワープアで激務なので、そのうちの一日を交通費だしてするのも正直つらくなってる。

 後、もめ事のせいもあって、神戸で教えるべき人がいなくなり、ゲームの調整をする必要もなくなったことも大きい。ゲームの調整は実力が拮抗していないサークルでは必須。ゲームの流れから常に外れてる人は作るべきじゃないのよね。運営的な意味で

 指導的には、とりあえず近年二年、全国行った人もいるし、それにはたぶん貢献したと思っておく。ただ指導として心残りなのは、ゲームのバランスとってたらいいというもんじゃないということと、切るとこは切るというそれが伝わってないことだ。家止めも単に家とめて、流れ押さえてるような気分になってる感じ。ゲームは勝つためにするもんだし、勝つためにバランスをとるのが必要なこと多いからバランスとるんであって、バランスとるためにゲームしてるようではなんも伝わってない。実のとこそういう意味で前回の最終ゲームのライトパープルのプレーと、私を救ったプレーについてはちょっと失望してる。

 運営的な意味においては、これからしんどくなる可能性が高いと思う。人は人によって集まる。モノポリーに限らず、単一ゲームサークルの人は、こんなにいいもんだからなんもしなくても人が来るし集まって、いつくのは普通だと思う人が多い。でもそれは妄想に近い。いい物はいっぱいあるし、楽しいこともいっぱいある。そればかり食う必要なんてどこにもない。

 今後の課題で交流という意見もあった。交流というと昔広島にすんでたH氏や名古屋のトミーさんを思い出す。交流というのは定期的にそれらを行わない限り、強者以外がすることに意味がない。H氏やトミーさんのそれに意味があったのは、彼らが強者であった上に、色んなものを伝えてくれたからである。
強いそれはそれだけで意味があり、強くない人のそれは、定期的に行いその交流自体が目的になるほどしないと意味がない。逆に考えて、数年に一回実力的にどうでもいいような人が数人誰かが覗きに来てくれて、それがサークル的にそんなに意味あるのと?

 もめ事自体のことはある意味どうでもいいが、私が素直に思ったことを最後に記す。

 貧餞の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず。